沿革・校歌

沿革

日本海側にある基幹的な総合大学として 150年の歴史を,次へとつなぎます

「知識を養い,人を育てる場所を北陸にも」人々のそんな願いを実現するため,日本が明治維新を迎える直前,加賀藩の下で,金沢大学の礎が築かれ,2012年に創基150年を迎えました。
以来,今日までの長い間,磨き続けられてきた英知によって,新しい文化と伝統が創造され続けています。

1862(文久2 ) 加賀藩が種痘所を設置。現在の金沢大学(医学類)の源流となる。
1870(明治3 ) 加賀藩が金沢医学館,製薬所,病院 を開設。
西洋医学・薬学の教育の流れは,後の金沢医学校,金沢医科大学へ続いていく。
1874(明治7 ) 石川県が小学校教員を養成するための集成学校創設。
その後,石川県師範学校と改称され,後に設置される金沢高等師範学校,石川青年師範学校とともに地域の教育を支え,学校教育学類(旧教育学部)の前身となる。
1876(明治9 ) 石川県が中学師範学校として啓明学校を設置。
中等教育・高等専門教育の流れを受け継ぐ第四高等学校へ発展していく。
1887(明治20) 官立の第四高等中学校を設置。
後に第四高等中学校を第四高等学校と改称(1894年)。
人間社会学域(旧文・法・経済学部)・理工学域(旧理学部)の前身となる。
1920(大正9 ) 官立の金沢高等工業学校設置。
後に金沢工業専門学校と改称(1944年)。理工学域(旧工学部)の前身となる。
1923(大正12) 官立医科大学として金沢医科大学及び附属薬学専門部設置。
医薬保健学域(旧医・薬学部)の前身となる。
1949(昭和24) 金沢医科大学,第四高等学校,石川師範学校,金沢高等師範学校,石川青年師範学校,
金沢工業専門学校などが統合され,新制大学として金沢大学が誕生。
法文・教育・理・医・薬・工学部の6学部を設置。
法文,教育,理の3学部は金沢城内にキャンパスがあり,以後,角間キャンパス移転まで,
全国的にも珍しい"お城の中の大学"として親しまれる。
1972(昭和47) 医療技術短期大学部の設置(1996年,医学部保健学科に改組)。
1980(昭和55) 法文学部を改組し,文・法・経済学部を設置。8学部に。
1989(平成元) 角間キャンパスへの総合移転開始。
2004(平成16) 国立大学法人金沢大学設立。
2008(平成20) 8学部を3学域・16学類に改組して新たなスタートを切る。
人間社会学域  6学類(人文,法,経済,学校教育,地域創造,国際)
理工学域   6学類(数物科学,物質化学,機械工学,電子情報,環境デザイン,自然システム)
医薬保健学域  4学類(医学,薬学,創薬科学,保健学)
2012(平成24) 金沢大学創基150年
「人を育てる」原点となった教育の場,師範学校。一貫して石川県の小中学校教員の養成に貢献

「人を育てる」原点となった教育の場,師範学校。一貫して石川県の小中学校教員の養成に貢献

中谷宇吉郎,西田幾多郎など,政治・経済・学術・文化等の分野で活躍した多くの人材を輩出

中谷宇吉郎,西田幾多郎など,政治・経済・学術・文化等の分野で活躍した多くの人材を輩出

旧制金沢医科大学は,新潟・千葉・岡山等と並び通称旧六(医科大学)と呼ばれる。 明治末,金沢市への北陸帝国大学設立の建議案が帝国議会で可決されているが実現に至らなかった。

旧制金沢医科大学は,新潟・千葉・岡山等と並び通称旧六(医科大学)と呼ばれる。
明治末,金沢市への北陸帝国大学設立の建議案が帝国議会で可決されているが実現に至らなかった。

石川師範学校,第四高等学校,金沢医科大学,金沢工業専門学校などの歴史と伝統を引き継ぎ,新制大学として発足

石川師範学校,第四高等学校,金沢医科大学,金沢工業専門学校などの歴史と伝統を引き継ぎ,新制大学として発足

「社会のための大学」の原点に立ち返った,国立大学法人化

「社会のための大学」の原点に立ち返った,国立大学法人化

東京ドーム約57個分に匹敵するほど,広いキャンパス

東京ドーム約57個分に匹敵するほど,広いキャンパス

校歌 

金沢大学校歌は,室生犀星の作詞です

金沢大学校歌は,郷土が生んだ文豪室生犀星の作詞です。
40年来歌い継がれているこの校歌を誇りとし,“人をつくるため”の努力を続けます。こちらから聴くことができます。

校歌