人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史特任助教の研究チームは,奈良県橿原市の古代の遺跡である藤原宮跡から出土した馬骨と馬歯の化学分析を実施し,藤原宮造営に利用されたと推定されている馬の大多数が東日本内陸部から持ち込まれたことを発見しました。さらに,各地から持ち込まれた馬は,個体ごとに人から与えられている餌の内容に大きな違いがあることが分かりました。
日本列島で家畜馬が遺跡から見つかり始める時代は,今から約1600年前の古墳時代の後半からで,大陸から持ち込まれたとされています。続く古代からは,全国各地の遺跡で馬骨の出土量が増加し,古代に高度な馬の生産体制(馬産体制)が確立していったと考えられています。この馬産体制に大きく貢献したこととして,馬の飼育形態の技術向上と,その技術と管理体制の厳格な取り決めを記した,律令制の存在があります。当時の馬は軍事的な利用だけでなく,都市部の開発や都市と地方を結ぶ主要道路の交通手段として利用されていたと考えられていますが,律令に記された馬産体制が実際に機能していたか,その実態は不明な点が多く,律令制が始まる頃の馬産体制の実態はほとんど分かっていませんでした。
覚張特任助教らは,日本において最初期の律令が編纂・施行された時期とほぼ同時代の遺跡である藤原宮跡から出土した馬の骨や歯の化学分析を実施し,当時の馬産体制の実態を評価することを試みました。これは,馬の骨や歯には,主要成分であるコラーゲンやハイドロキシアパタイトが含まれており,これらの化学的な特徴を精査することで,馬の骨と歯からその馬が「どこで生まれ・どこで育ち・何を食べてきたか」という問いに答えることができるためです。
炭素同位体比,ストロンチウム同位体比,酸素同位体比という3つの化学的指標を用いて藤原宮跡出土馬の生態を評価した結果,食性の指標である炭素同位体比から,当時の馬の摂取している餌が個体ごとに大きく異なることが分かり,特に,C4植物と呼ばれる光合成のしくみをもつ植物の摂取割合が高い馬が検出されました。後世の律令には,C4植物のひとつであるアワなどの雑穀を体格が優れた馬に給餌する規定があることから,大宝律令施行前に,既に馬によって餌の内容を変えていたことが分かりました。
また,出生地を推定する指標であるストロンチウム同位体比と酸素同位体比から,藤原宮跡出土馬が奈良県域外から持ち込まれたこと,さらにその大半が東日本や東日本内陸部であったことが示されました。後世の律令には,東日本内陸部に中央政権が直轄で管理する官営牧場を数多く設置することを規定した条文が数多く見られることから,食性の指標と同様に,藤原宮造営期には,既に馬が東日本から供給されていた馬産体制の存在を示唆されました。
本研究成果は,初期律令制施行直前における馬産体制の実態を復元するための重要な足がかりを得たとともに,全国的な軍事利用に用いられてきた当時の馬の利用について初めて自然科学的に評価したことになります。
本研究成果は,平成28年3月31日に,奈良文化財研究所が発行する「奈良文化財研究所研究報告書 第17冊 『藤原宮跡出土馬の研究』」内で公表されました。
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奈良文化財研究所研究報告書 第17冊 「藤原宮跡出土馬の研究」
研究者情報:覺張隆史