金沢大学新学術創成研究機構/医薬保健研究域医学系の西山 正章 教授、医薬保健研究域医学系の川村 敦生 助教(研究当時、現・カリフォルニア大学バークレー校 博士研究員)、富山大学学術研究部医学系の高雄 啓三 教授らの研究グループは、自閉スペクトラム症(以下、自閉症)の関連遺伝子である Chd8(※1)の重複(遺伝子の過剰発現)が、発育遅延、過活動行動、小頭症などの神経発達異常を引き起こすことをマウスモデルで明らかにしました。
自閉症を含む発達障害は社会生活に支障を来す症状のため、その患者数の増加とともに大きな社会問題となっています。CHD8 遺伝子は、自閉症の原因遺伝子の中でも特に変異頻度が高いことで知られており、これまで遺伝子の機能喪失(欠損)による影響について多くの研究が行われてきました。一方で、CHD8 遺伝子座を含む染色体領域のコピー数増加(重複)(※2)が発達障害の患者から相次いで発見されています。しかし、CHD8 の重複が脳発生や発達障害の病態にどのような影響を与えているかは不明でした。
本研究グループは、CHD8 遺伝子のコピー数が増加した状態を再現するため、同遺伝子を過剰発現させたマウスを新たに作製し、その影響を詳細に解析しました。その結果、Chd8 重複マウスでは胎生期から脳の発生が遅れ、小頭症を呈することが確認されました。このマウスでは、神経前駆細胞の分化異常が生じ、大脳皮質における深層ニューロンの産生が著しく減少していました。さらに、遺伝子発現解析の結果、過剰な CHD8 の発現は、神経発生に関与する遺伝子のエンハンサー領域(※3)への CHD8 の異常な結合を引き起こし、それに伴って転写制御の破綻が生じていることが明らかになりました。
この Chd8 重複マウスの行動解析の結果、このマウスは CHD8 遺伝子の重複が見られる発達障害患者によく報告されている、多動傾向や不安様行動の低下といった行動変化を示しました。これらの行動異常の一部は、自閉症の治療に用いられる抗精神病薬リスペリドン(※4)の投与によって改善されることが示され、CHD8 重複による行動異常に対する治療的介入の可能性が示唆されました。本研究により、発達障害の発生メカニズムの解明や治療法開発へとつながることが期待されます。
本研究成果は、2025 年 5 月 26 日午後 6 時(日本時間)に英国科学雑誌『Nature Communications』のオンライン版に掲載されました。
図1:CHD8 によるクロマチンリモデリング
染色体(クロマチン)は、DNA がヒストンというタンパク質に巻き付いたヌクレオソームという構造をとることで、高度に折り畳まれて核の中に収納されています。遺伝子が発現する際には、この染色体が弛緩したり凝縮したりすることで制御されています。CHD8 は、この染色体の構造を変化させるクロマチンリモデリング活性を有しており、遺伝子の転写の ON と OFF を制御しています。
図2:CHD8 重複による発達障害モデルの発生メカニズム解明と治療応用
本研究グループは、新たに Chd8 を 重複させたマウスを作製し、CHD8 重複がもたらす影響について分子・細胞・個体レベルで解析を行いました。これらの知見は発達障害の病態理解や治療への応用につながることが期待されます。
【用語解説】
※1:CHD8
Chromodomain Helicase DNA binding protein 8 (CHD8)の略で、細胞内のエネルギーを使用して染色体構造を変化させ、遺伝子の発現量調節を担うクロマチンリモデリング因子という一群のタンパク質の一種です。
※2:コピー数増加(重複)
染色体上の特定の遺伝子やその周辺領域が、通常より多く存在する状態を指します。通常、遺伝子は細胞内に 2 コピー(父と母から 1 つずつ)ありますが、重複が起こると、そのコピー数が 3 つ以上になることがあります。これにより、当該遺伝子の発現量(タンパク質の量)が増加し、細胞や発生過程のバランスが乱れることがあります。
※3:エンハンサー領域
DNA 上に存在する特定の調節領域で、近くまたは遠くにある遺伝子の発現(スイッチの ON/OFF)を強く調節します。
※4:リスペリドン
抗精神病薬の一種で、脳内の神経伝達物質(ドパミンやセロトニン)の働きを調整することで、多動や攻撃性、不安などの行動異常を抑える作用があります。自閉スペクトラム症に伴う易刺激性の治療薬としても使用されており、今回の研究では CHD8 重複マウスの行動異常の改善に有効である可能性が示されました。
ジャーナル名:Nature Communications
研究者情報:西山 正章