金沢大学創基150年記念式典 学長式辞

平成24年5月30日 ホテル日航金沢

本日ここに,平野博文文部科学大臣,森喜朗先生(元内閣総理大臣)をはじめとする国会議員の先生方,文部科学省,石川県,金沢市及び県内自治体ならびに経済団体,さらには関係大学並びに諸機関から多くの方々のご臨席を賜り,金沢大学創基150年記念式典が挙行できますこと,本学にとって大変めでたく,心から慶びとするところであります。今日に至るまで文部科学省をはじめ,関係各位には大変なご支援・ご協力を頂いて参りました。心からの感謝と御礼を申し上げます。

平成11(1999)年,金沢大学が創立50周年を迎えた折,金沢大学50年史編纂委員会を設置し,金沢大学の始まりについて検討を加え,文久2(1862)年に設立された加賀藩彦三種痘所を本学の淵源と定めました。本年2012年は,種痘所設立から数えて150年目の節目の年であり,本年を創基150年と位置付けた次第であります。

加賀藩彦三種痘所を淵源とする本学は,その後,明治7(1874)年,明治20(1887)年,大正9(1920)年にそれぞれ設置された石川県師範学校,第四高等中学校,金沢高等工業学校を礎として今日の3学域・16学類,5研究科の総合大学へと発展してきました。その間,わが大学の濫觴の一滴であった種痘所の人々の熱い思いと高い倫理性は,教育・研究の多くの領域からの水脈を集めて金沢大学を北陸に冠たる大河となし,その総合性,多様性,革新性の精神的支柱であり続けました。今日に至る歴史は,後ほど古畑徹・金沢大学資料館長が詳しくご説明申し上げます。

金沢大学は,「創基150年」事業を通して,本学のアイデンティティ,「地域と世界に開かれた教育重視の研究大学」を具体的な姿において確立することをめざしています。事業を推進するにあたり,3つの大きな柱として,「先魁」「共存」「創造」を定めました。<先魁>としての優れた人材養成,弱者・少数者を含めたすべての命が豊かに<共存>できる世界の構築,そして未来における先端的な研究・医療の<創造>であります。

金沢大学の基が置かれた7年前,1855年,フランスの著名な細菌学者パストゥール(1822年-1895年)がリール理科大学教授兼学部長に任命された時,時の文部大臣がリール大学長に書いた手紙には次のようにあります。

「パストゥール氏は科学に対する愛情によって我を忘れるようなことがあってはなりません。大学での教育が,科学理論の発展を保ちながらも,影響が広範囲に及ぶ有益な結果を生むよう,リール地方の実際的要求に応える独自の応用研究に邁進しなければならない,ということを彼は忘れてはならないのです」。

大学は,「社会のため」に存在し,活動の中核は「知の継承・知の創造」にあり,それは大学の「内在的価値」と言うことが出来るでしょう。「知の継承・知の創造」の具体の活動が「教育・研究」であり,したがって大学は「教育・研究」という行為を通して,「社会のために存在する」ことになります。「社会のため」は時代により異なりますが,150年前においても,「より直接的な社会貢献」,いはば,「手段的価値」が求められていたのは明らかであり,今日に至るまで「内在的価値としての教育・研究」と「手段的価値としての教育・研究」におけるバランスが時代ごとの要請に基づき揺れ動きつつ発展してきたということができます。

150年前から今日まで大学がたどった歴史を見ますと,今後もこれまでと類似した事象を繰り返しつつ大学は発展し,150年後においても「内在的価値」と「手段的価値」の均衡を図りつつ存在するものと思われます。

遠い将来の金沢大学について,私個人の思いを述べさせて頂きます。過酷な労働の必要もなく衣食住が満たされる時代にあっても,人は,決して愛や遊びのような形而下の営みで満足することはなく,知的活動・知の創造にこそ満足を見いだすことになることでしょう。こうした世界においては,大学は,多くの人が集い活動し,「知の継承・知の創造」に満足を見いだす場となるでしょう。そこでは,知の拠り所(トポス)であること自体が,すでに「社会のため」の大学となることであり,私は,そのような時代においても金沢大学が光輝くことを確信しています。

創基150年の記念すべき今年,医学類の総合研究棟2期工事が着工の運びとなりました。この完成をもちまして,28年に渡る金沢大学総合移転・宝町鶴間地区再開発事業の当初計画は完了いたします。これも一重に,関係各位のご支援の賜物と感謝しております。

将来に渡る,皆様のご支援・ご協力を再度お願い申し上げ,式辞といたします。

平成24年5月30日

金沢大学長 中村 信一

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