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学域長挨拶

 人間社会学域長 村井 淳志

金沢大学には「人間社会学域」「理工学域」「医薬保健学域」という3つの学域があります。「医薬保健学域」では「病気の原因と治療法を学ぶ」、「理工学域」では「自然の法則と技術への応用方法を学ぶ」とどちらも非常にわかりやすいのに対し、「人間社会学域」は何を学ぶんだ?と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。
もちろん、「名前からして、人間や社会にまつわることを学ぶんだろう」、それは対象領域を指す点ではまちがいではありません。
しかし「医薬保健学域」が(病気の)原因と(治療)方法、「理工学域」が(自然の)法則と(応用への)方法を学ぶというように、何を解明するのか、科学の任務が明確です。
これに対して人文社会科学では、何を解明するべきなのか、法則なのか、方法なのか、単なる事実の確定でよいのか、といった学問の目的自体が、長い間論争の的になってきましたし、今もなっています。

私は(必ずしも多数意見ではありませんが)、人文社会科学が解明すべきものは「意味」である、と喝破したい。人間と社会にまつわるあらゆる現象の、「意味」を問うことこそ、人文科学・社会科学の最大にして最重要な任務であると考えています。

事実自体はひとつです。しかし光の充て方次第で、その見え方、即ち「意味」は実に多面的です。歴史上の人物の評価が、光の充て方によって180度変わる、という例は数多くありますし、私たち人文社会科学の研究者はまさに、そうした歴史像・社会像の、意味の転換をめざして、日々研究していると言っても過言ではありません。私が研究した例でいえば、江戸時代の勘定奉行、荻原重秀の評価(意味づけ)は、現在でも非常に低い。歴史教科書には必ず、「荻原重秀は、金含有量が低い、質の劣った貨幣を大量に発行した。幕府は差益で儲けたが、物価騰貴を引き起こし、人々を困窮させ、経済を混乱させた」などと書いてあります。私は研究を通じて、荻原重秀の政策は、貨幣を実物貨幣(商品を貨幣としても使う)から名目貨幣(貨幣としての使用だけを目的に生産された、現在の紙幣のような貨幣)への第一歩を踏み出した、非常に先駆的な金融政策であることを論じました。

つまり荻原重秀がやったこと、その事実は変えようがないのですが、光の充て方、違った文脈に位置づけることによって、その意味がガラッと変わってしまうことがあるのです。 たとえば次のような問いに、あなたならどう答えますか?

○ 「多数の米軍兵士の命を救った原爆投下は、正しい選択だった」という、大多数のアメリカ人の認識をどう考えるか。
○ 幼児への性犯罪を繰り返して服役し、出所した元犯罪者の情報を、居住地の住民に公開することは是か非か。
○ 教科書には「氷河期が終わって温暖になったので、人類は定住した」と書いてあるが、氷河期の頃から温暖だった低緯度地方に、人類定住の痕跡は見つかっていない。このことをどう考えたらよいのか。

こうした例からわかるように、「意味」を問う作業はしんどく、なかなか答えが見つかりません。でもだからこそ、挑戦のし甲斐があるのです。ぜひ多くの皆さんが、人間社会学域の門を叩き、答えが簡単に見つからない問いを立て、解明に挑戦されることを強く期待します。

 

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