幹細胞とは、各組織あるいは細胞の源となる細胞であり、多系統の細胞に分化する多分化能と幹細胞を再び作る自己複製能を持つ細胞と定義される細胞である。それぞれの組織においては、常に幹細胞から新しい細胞の供給を受けることによって、細胞の置き換わりが起こり、組織としての機能を維持することができる。幹細胞が個体の生涯にわたって、新しい細胞を供給し続けるためには、幹細胞の特性である自己複製能を適切に制御する必要がある。自己複製機構を解明することは、生命科学における重要な課題であるとともに、医療においても、障害を受けた組織を再構築させるためのソースとしての幹細胞を適正に制御するために重要な課題である。私たちは、以下のような観点から幹細胞にアプローチしている。




幹細胞の本質は、細胞が分裂した後、ひとつあるいは両方の娘細胞がもとの細胞と同じ性質を持つという自己複製という能力を持つことである。生体内では多くの細胞が分裂しているが、そのほとんどは分裂するごとに分化が進んでいる。すべての細胞がこのような分裂様式をとれば、成体の中の細胞はいずれ枯渇する。幹細胞が自己複製することは、幹細胞のプールを枯渇させないために必須の機構である。幹細胞のプールを長期に維持することは、個体の一生涯を通じて組織の機能を保つために必須である。自己複製制御機構の解明は、現在の幹細胞研究の中の最も重要で課題であり、世界中の幹細胞学者の興味の中心である。これまで、多くの研究者が様々な角度からアプローチしているにも拘らず、未だ謎が多い。私たちは、細胞周期、細胞老化、DNA損傷といった新しいアプローチでこの課題に取り組んでいる。




組織の幹細胞の制御機構の大きな特徴のひとつに、その細胞周期制御が挙げられる。つまり、幹細胞は、非常に高い分裂能を保っている細胞であるが、そのほとんどは、細胞周期上静止状態(G0期)にあるということが明らかとなってきた。例えば、造血幹細胞は、骨髄の中で存在しているときは、その約75%がG0期にいるとされる。その他、神経、生殖細胞、腸管、皮膚さらに前立腺の幹細胞も、細胞周期の回転の遅い細胞集団であることがわかっている。がん細胞株のような形質転換した細胞も幹細胞同様、高い増殖能を持つが、幹細胞との違いは、常に増殖していることである。言い換えれば、正常組織の幹細胞は、何らかの制御を受けて、無制限無秩序に増殖するのを抑制されていると考えられる。造血幹細胞は、骨髄内で留まっているときには、分裂が抑制されているが、体内から取り出し、培養すると分裂を始める。このことから、生体内では幹細胞を取り巻く環境因子が、幹細胞の細胞分裂を抑制していると考えられている。一方、幹細胞の中でも負の細胞周期制御因子が幹細胞機能に重要な役割があるということが知られるようになった。幹細胞の特徴である細胞周期の制御機構を明らかにすることは、幹細胞の自己複製や多分化能の制御の本質を理解することにつながる。




私たちは、これまで、造血幹細胞の骨髄における動態や制御機構を解析することを通じて、幹細胞の自己複製機構と老化・寿命の制御機構が共通の分子によって司られているのではないかという仮説を持つようになった。その仮説に基づき、老化・寿命に関与する分子と幹細胞の機能の関係を明らかにしようとしている。寿命・老化を司る分子あるいはシグナルは、線虫やショウジョウバエを使った遺伝学的手法、老化に関わるヒトの遺伝疾患の原因遺伝子の特定、さらに原癌遺伝子や腫瘍抑制遺伝子を用いた哺乳動物由来培養細胞の老化研究など多方面にわたるアプローチによって明らかになりつつある。幹細胞の自己複製能と寿命・老化の制御機構の共通性を示唆する証拠の一つはテロメアの維持機構である。幹細胞のテロメア長は分化した細胞よりも長く保たれていること、テロメレース活性も未分化細胞に強いこと、連続移植により造血細胞のテロメア長が短くなるのと同時に自己複製能が低下すること、テロメアの短い変異マウスでは、自己複製能が極端に低下することが知られている。私たちは、テロメアの制御機構以外でも、両者に共通の分子による制御があるのではないかと考えている。私たちは、これまで、ヒトの遺伝疾患で、早期老化症や腫瘍化を示す小脳失調性血管拡張症(Ataxia Teleangiectasia)と幹細胞の関係を明らかにした。すなわち、原因遺伝子であるATMが酸化ストレスを制御することによって、造血幹細胞の自己複製維持を制御していることを見いだした。このことは、寿命・老化制御と幹細胞機能を結びつける強い根拠となり、この仮説の正当性を裏付けるものと信じている。




生体の中で、自己複製ができるのは、幹細胞とがん細胞だけである。その両者の違いは、制御された自己複製か、制御不能の自己複製かである。細胞のがん化は、制御不能の自己複製能の獲得であるとも考えられている。その観点から、幹細胞とがん細胞は、共通の分子機構で制御されているという可能性がある。私たちは、これまで、幹細胞の自己複製に腫瘍抑制遺伝子が関与していることを明らかにしてきた。今後さらに、腫瘍抑制遺伝子p53、Rb、p16INK4aといったがんの発生や抑制に関与している分子の幹細胞自己複製における役割を明らかにしていく。




腫瘍組織を構成する細胞は、均一ではなく、一部に特別な性格をもつ集団が存在していることが示唆されてきた。この不均一性が、治療の際、抗がん剤抵抗性の細胞集団の原因となっていることが考えられる。すべての腫瘍細胞を死滅させるには、この一部の特殊な集団を特定して、治療の標的にする必要がある。最近、がん細胞の中にその源となる"幹細胞的"な役割をもつ細胞があることが想定され、がん幹細胞(Cancer Stem Cell)と呼ばれている。Cancer Stem Cellの概念は、古くは1970年代の後半に発表されたものの、具体的な証明に至らなかった。1997年、Dickらは、白血病細胞の中に正常なヒトの造血幹細胞の表面マーカーであるCD34陽性CD38陰性という形質を持つわずかな細胞集団が存在し、ここに白血病細胞の大部分を供給する源の細胞が濃縮されていることを示し、造血組織においてCancer Stem Cellの存在を証明した。また、脳腫瘍や乳癌などの固形腫瘍においてもCancer Stem Cellの証拠となる報告がなされている。このがんの源になる細胞集団が、本当に正常の幹細胞に起源し、同じような性格を持つのかどうか、あるいは正常の幹細胞とはちがっていてもがん組織においては幹細胞的にふるまうのか、明らかにしなければならない。この問題を解決するため、私たちは、このがん幹細胞の特定と、その性質の解析を行っている。現在のところ、ヒトの臨床検体によってCancer Stem Cellの存在が示されているが、科学的に検証するためには、その動物モデルを確立することが必須であると考えている。動物モデルを確立し、その成果を臨床に還元することを目標に研究を進めている。